大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和43年(あ)1185号 判決 1970年7月16日

被告人

岩尾覚 外一三名

主文

本件上告を棄却する。

理由

検察官の上告趣意中、原判決が、憲法二八条、一八条、三一条の解釈を誤つている旨の論旨は、昭和三九年(あ)第二九六号、同四一年一〇月二六日大法廷判決(刑集二〇巻八号九〇一頁)および昭和四一年(あ)第四〇一号、同四四年四月二日大法廷判決(刑集二三巻五号三〇五頁)の趣旨に照らせば、いづれも理由がない。判例違反をいう所論判例のうち、昭和三六年(オ)第一一三八号、同四〇年七月一四日大法廷判決は、本件と事案を異にし適切でなく上告適法の理由にあたらない。昭和二四年(れ)第六八五号、同二八年四月八日大法廷判決は、昭和三九年(あ)第二九六号、同四一年一〇月二六日大法廷判決ならびに、原判決言渡後の昭和四一年(あ)第四〇一号、同四四年四月二日大法廷判決により、実質的に変更されており、また、東京高裁刑事六部昭和四〇年一一月一六日判決は、原判決言渡後、昭和四一(あ)第四〇一号、同四四年四月二日大法廷判決により破棄されたもので、原判決の判断は、右大法廷判決と同旨のものであるから刑訴法四一〇条二項の趣旨に従い、本件原判決を維持するのが相当であり、論旨はいづれも理由がない。その余は、単なる法令違反の主張で同法四〇五条の上告理由にあたらない。また、記録を調べても同法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて、同法四〇八条により、裁判官入江俊郎の意見および裁判官長部謹吾の反対意見があるほか裁判官全員一致の意見で、主文の通り判決する。

裁判官入江俊郎の意見は、次のとおりである。

私はなお、昭和四一年(あ)第四〇一号、同四四年四月二日大法廷判決(刑集二三巻五号三〇五頁)に付した私の意見を援用する。

裁判官長部謹吾の反対意見は、次のとおりである。

原判決は、地公法三七条一項、六一条四号の解釈を誤り、罪となるべきものを罪とならないとする違法を犯したもので、破棄されるべきものであると考えるが、その理由は、昭和四一年(あ)第四〇一号、同四四年四月二日大法廷判決の裁判官奥野健一、同草鹿浅之介、同石田和外、同下村三郎、同松本正雄の反対意見と同一である。

和教組事件検察官上告趣意

昭和四三年(あ)第一一八五号

被告人 岩尾覚

同 北条力

同 滝本松寿

同 西浦利也

同 田淵史郎

同 岡本佳雄

同 石原笹枝

同 中山豊

同 平尾利彦

同 田辺夫

同 中島昭

同 坂本昇

同 平岡繁雄

同 浜本収

検察官の上告趣意(昭和四三年一〇月二八日受付)

原判決は、地方公務員法(以下地公法という)六一条四号は同盟罷業、怠業その他の争議行為(以下争議行為という)の遂行の共謀、そそのかし、あおり、これらの企て(以下煽動行為等という)を処罰の対象としているが、争議行為等は組織的、統一的に行なわれる集団的行為であつて、企画、立案され、討議、決定され、指令、指示が発出、伝達され、また、その間説得、慫慂、激励等が行われるのが通例であるところ、これらは右煽動行為等のいずれかに該ると認められ、しかも、争議行為等に必要不可欠か、または通常随伴する行為であつて、広くこれを処罰することは、憲法一八条、二八条、三一条に違反するから、その手段態様等において右の範囲を逸脱し、公共の福祉の見地からもこれを容認し難く、法律上の保護の対象とするに値しないもので、その処罰もやむを得ないと認められる程度に強度の違法性を帯びるものに限ると解するのが相当であるとしたうえ、被告人らの本件行為は地公法六一条四号に該当しない旨判示している。

しかしながら、原判決の右判断は憲法一八条、二八条、三一条の解釈を誤り、かつ最高裁判所ならびに高等裁判所の諸判例に相反するものであつて、そのいずれもが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、刑事訴訟法四〇五条、四一〇条一項により、原判決は当然破棄せらるべきものと思料する。

以下その理由を述べる。

第一、原判決は、憲法二八条の解釈を誤り、かつ最高裁判所の判例に違反する。

一、原判決は地公法六一条四号の煽動行為等の解釈につき

1 地公法三七条一項において地方公務員の争議行為等を禁止することは憲法二八条に違反しないとしながら、そのことから直ちに地公法六一条四号も憲法二八条に違反しないとはいえず、単純な不作為を内容とする争議行為等は、憲法が労働基本権を保障した趣旨等に照して、一般的にいつて刑罰をもつて臨むべきでなく、国民生活全体の利益の保障の見地から制限されるのはやむを得ないとしても、その制限は合理性の認められる必要最小限度にとどめるべきであり、特に、その制限違反に対し、刑罰を科することは特別に慎重でなければならない。

2 争議行為等は、組織的、統一的に行われる集団的行為であり、それは企画、立案され、討議、決定され、指令、指示が発出、伝達され、またその間説得、慫慂、激励等が行われるのが通例であつて、これは煽動行為等のいずれかに該当するものと認められ、しかも争議行為等に必要不可欠か、または通常随伴する行為と解するのが相当であり、単に一部組合役員によつてのみなされるというものではなく、強弱の差こそあれ、一般組合員相互間においても行われるのであるから、もし、これらの行為を処罰するということになると、単純な争議行為等の実行行為者は処罰しないとの趣旨にも反し、実質上争議行為等を一律かつ全面的に刑罰をもつて禁止することとなり、地公法六一条四号は憲法に違反するおそれがある。

3 しかし、地公法六一条四号にいう争議行為等の遂行を「共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた」者の意義、殊に本件で問題とされている「あおり」の意義内容を、それらが、その態様、手段において右の範囲を逸脱し、公共の福祉の見地からもこれを容認し難く、法律上の保護の対象とするに値しないもので、処罰もやむを得ないと認められる強度の違法性を帯びるものと認められるものに限定して解釈する限り、それは争議行為等に必要不可欠の行為ないし通常随伴する行為と認められないから、これに対して刑罰を科することは実質上争議行為等を刑罰によつて一律に禁止することにはならず、公共の福祉の要請からみて、やむを得ないものと考えられ、かつ罰則も必要の程度をこえていると思われないから、地公法六一条四号は憲法二八条に違反しないものということができる。

と判示している。

二、しかしながら、原判決の右判断は左記理由により、その誤りであることが明らかである。

1 原判決は、地公法三七条一項において地方公務員の争議行為等を禁止することが憲法二八条に違反しないとしながら、そのことから、直ちに、地公法六一条四号も憲法二八条に違反しないとはいえず、争議行為等は、憲法が労働基本権を保障した趣旨等に照して、刑罰をもつて臨むべきでないというのである。

しかし、右は論理の一貫性を欠き、労働基本権の尊重にとらわれ、公共の福祉の確保との均衡の保持を無視し、地方公務員の特殊な勤務関係を看過した見解というべきである。

東京高裁刑事六部昭和四〇年一一月一六日判決(都教組事件高裁刑集一八巻七号七八四頁)(以下都教組事件判決と略称する)は、「地方公務員法第三七条第一項が、地方公共団体の職員について、その争議行為を禁止することが憲法第二八条、第一三条等の条規に照して適法であり、(中略)したがつて同項後段において、右法律によつて禁止された争議行為等違法行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおる各行為を禁止し、同法第六一条第四号が右違法行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり又はこれらの行為を企てた者を処罰する旨定めていることが前記憲法第二八条等の条規に照して適法であることは最早多言を要しない。」と判示し、最高裁昭和二八年四月八日大法廷判決(昭和二三年政令二〇一号事件、刑集七巻四号七七五頁)(以下政令二〇一号事件判決と略称する)は、「国民の権利はすべて公共の福祉に反しない限りにおいて立法その他国政の上で最大の尊重をすることを必要とするものであるから、憲法二八条が保障する勤労者の団結する権利及び団体行動をする権利も公共の福祉のために制限を受けるのはやむを得ないところである。殊に国家公務員は、国民全体の奉仕者として(憲法一五条)公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならない(国家公務員法九六条一項)性質のものであるから、団結権、団体交渉権等についても、一般勤労者とは違つて特別の取扱を受けるのは当然である。」とし、「公務員の争議行為を禁止し、その違反に対し刑罰を科しても、憲法二八条に違反しない。」と判示し、同判決は今日においても変更されたものと解されず、最高裁昭和四〇年七月一四日大法廷判決(和教組専従休暇事件、民集一九巻五号一二〇六頁)(以下和教組専従休暇事件判決と略称する)は、「憲法二八条の保障する勤労者の団結権等は、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とし、みだりに制限することを許さないものであるが、絶対無制限のものではなく、公共の福祉のために制限を受けるのはやむを得ないこと、当裁判所の次の判決の示すところである(二八、四、八大法廷判決、二五、一一、一五大法廷判決)。そして、右制限の程度は勤労者の団結権等を尊重すべき必要と公共の福祉を確保する必要とを比較考量し、両者が適正な均衡を保つことを目的として決定すべきであるが、このような目的の下に立法がなされる場合において、具体的に制限の程度を決定することは立法府の裁量権に属するものというべく、その制限の程度が著しく右の適正な均衡を破り、明らかに不合理であつて、立法府がその裁量権の範囲を逸脱したと認められるものでない限り、その判断は合憲適正なものと解するのが相当である。」としているのであつて、同判決は地方公務員の団結権の制限に関するものであるが、その趣旨は地方公務員の争議権を制限し、その違反に対し制裁を科する場合についてもあてはまることはいうまでもないことであつて、地方公務員の争議行為に対し、民事制裁のみならず刑事制裁を科することも憲法上許されるものと解され、最高裁昭和四一年一〇月二六日大法廷判決(東京中郵事件、刑集二〇巻八号九〇一頁)(以下中郵事件判決と略称する)も争議行為に刑事制裁を科することは必要最小限度にとどむべきであり、殊に同盟罷業のような単純な不作為に刑事制裁を科することは特別に慎重でなければならないとするだけであつて、争議行為が憲法上不可罰的であるとは述べていないのである。

しかして、地公法六一条四号は、その文言上明らかなとおり、労働基本権尊重の建前から、単に同盟罷業、怠業のような単純な不作為はもとより、その他の争議行為に参加したに過ぎない者を処罰の対象にしないという、極めて周到な考慮をめぐらすかたわら、これら争議行為遂行の煽動行為者等だけを処罰することとしているのである。けだし、このような煽動行為等は違法な争議行為の原動力となり、またこれを誘発、助長する危険性を顕著に包蔵する行為であつて、その反社会性においては違法な争議の実行行為よりも甚しく大である。そして、地方公務員は住民全体の利益の維持増進をその職務とし、その職務の停廃は住民の生活全体の利益を害し、住民の生活に重大な障害をもたらすものであることを考えた場合、かかる行為に刑事制裁を科することには十分な合理的理由が存するのである。

かような観点から見るに、地公法六一条四号の規定は、労働基本権の尊重と公共の福祉の要請との調和を配慮したもので、両者がいちじるしく均衡を失しているとは到底認められないので、憲法二八条に違反しないことは明らかである。

この点につき、中郵事件判決も、地公法六一条四号の趣旨につき「一方で、これら公務員の争議行為は公共の福祉の要請によつて禁止されるけれども、他方で、これらの公務員も勤労者であり、憲法によつて労働基本権が保障されているから、この要請と保障を適当に調整するために、単純に争議行為を行なつた者に対しては、民事制裁を科するにとどめ、積極的に争議行為を指導した者にかぎつてさらに刑事制裁を科することにしたものと認められる。」として、同条項が労働基本権と公共の福祉との調和の上に立つていることを肯認しているのである。

されば、原判決が争議行為等に対しては刑罰をもつて臨むべきではないという前提に立つたことは、憲法二八条の解釈を誤り、前記の政令二〇一号事件判決並びに和教組専従休暇事件判決の二つの最高裁判所大法廷判決に違反したものというべきである。

2 原判決は、「争議行為は組織的、統一的に行われる集団的行為であり、それは企画、立案、討議、決定、指令、指示の発出、伝達、説得、慫慂、激励等によつて行なわれるのが通例であり、これらが争議行為等の共謀、そそのかし、あおり又はこれらの行為の企てのいずれかに該当する。」としながら、「これらの行為は、争議行為等に必要不可欠か、または通常随伴する行為と解するのが相当で、一部組合役員によつてのみなされるというものではなく、一般組合員相互間においても行われるのであるから、もしこれらの行為を処罰するということになると実質上争議行為等を一律かつ全面的に刑罰をもつて禁止することになり、地公法六一条四号は憲法二八条に違反するおそれがある。」としている。

しかし、一般的に、争議行為は組織的団体による共同目的達成のための統一行動であるから、争議行為遂行のための幹部間の企画、立案、討議、決定、指令、指示の発出、伝達、説得、慫慂その他下部組織における具体的実行に関する協議等が行われることは当然に想定されるところである。組合員数名のような零細な労働組合においてはいざ知らず、いやしくも相当数の組合員をようし、幹部役員と称すべき機関を有する職員組合においては、その組織団体である性質上、必然的に役員の指導により組合が運営されていることは、現にわれわれが日常見聞するところであり、このことは争議行為の遂行についても同様であつて、その実施に際しては、幹部間において、積極的能動分子を中心として企画、決定、説得、慫慂等の行為が行われ、さらに一般組合員に対して、企画、提案、討議、採択、指令、指示、指導、督励、慫慂の方法によつて、幹部役員らが指揮命令の権能を果していることは、一般に見られる社会的事実であり、これらの行為は争議行為そのものとは明らかにしゆん別し得るものである。これに反し、一般の争議行為参加者は労働組合の一組織員として受動的立場で附和随行的に参加するものが殆んどであり、支部、分会等で討議される事実があつても、これら討議は、要するに、上部の組合執行部からの争議企画を下達され、これに参加するよう指導督励されるのに対し、受動的被拘束的立場で下部組合員として如何に対処するかを協議するにすぎないものである。したがつて、原判決の前記判示は明らかに誤りである。

しかして、右企画、立案、討議、決定、指令、指示の発出、伝達、説得、慫慂の行為は争議行為遂行の原動力となり、これを誘発する危険性のある行為であるから、法はこの事実に着目し、これらの積極的行為を定型化し、共謀、そそのかし、あおり、それらの企てという類型で捉えたものであつてこれらの行為は社会通念上はもちろん、法律的にも争議行為の実行行為と明確に区別し得るのである。すなわち、一般的定義にしたがえば、「そそのかし」とは、所定の違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を新たに生じせるに足る慫慂行為をすることとされており(最高裁昭和二九年四月二七日第三小法廷判決、刑集八巻四号五五五頁)、「あおり」とは、違法行為を実行させる目的で、文書もしくは図画または言動によつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生ぜしめるような、または既に生じている決意を助長させるような勢のある刺げきを与えることを意味し(最高裁昭和二七年二月二一日大法廷判決、刑集一六巻二号一〇七頁)、両行為とも他人の違法行為実行の決意に影響を与える点に共通の特徴を有しているのである。また、ここにいう「共謀」とは、独立犯であるから、「共謀」それ自体が犯罪であり、したがつて、いわゆる共謀共同正犯すなわち、二人以上の者が違法行為を行うため、共同意思のもとに一体となつて、互に他人の行為を利用し、各人の意思を実行に移すことを内容とする謀議をすることを意味する(最高裁昭和三三年五月二八日大法廷判決、刑集一二巻八号一七一八頁)。この場合も、違法行為遂行の謀議に加わり、自己の犯意を表明することなどが他人を違法行為に誘引する作用をなす点に可罰の意味が存するのである。したがつて、かかる一般的意義における「共謀」、「そそのかし」、「あおり」、「それらの企て」に該当する以上、地公法六一条四号はそれらの行為を処罰の対象とする趣旨である。

この点に関し、原判決は「これらの行為は一般組合員相互間においても行われるのであるから、これらの行為を処罰するということになると、実質上争議行為等を一律かつ全面的に刑罰をもつて禁止することになり、地公法六一条四号は憲法二八条に違反するおそれがある。」としているが、右のように、ここにいう「共謀」とは共同謀議を意味するから、争議行為の実行に単純に参加するだけでは、「共謀」に該当しないので、同号により処罰されることはない。また、「あおり」行為等は相手方が実行に出る危険性があることを必要とするから(最高裁昭和二九年四月二七日第三小法廷判決、刑集八巻四号五五五頁参照)、実際にあおり行為等に該当するものの多くは組合幹部の行為であろう。ただ、争議行為の実行行為者でも、右のような一般的意義における共謀、そそのかし、あおり等の各行為に該当するかぎり、処罰されることがあり得るが、それは、争議行為の実行行為のためでなく、争議行為を誘発する危険のあるあおり行為に及んだためである。

したがつて、同号は争議行為の参加者をすべて処罰することになり、必要最小限度を超えて労働基本権を制限するから憲法二八条に違反するというのは全くの誤りである。

右の点について、前記都教組事件判決は「原判決は、争議行為を企画、立案することも、争議行為について指令、指示することも、争議行為について説得激励することも職員が争議行為に参加する一態様に過ぎないとして、指令第三号の発出や被告人ら幹部の行動を一斉休暇斗争に参加した二万数千人の組合員の行動と、これを同列において評価しようとしている。そして指令第三号も指示激励も争議行為に通常随伴するものだというけれども、これは弁護人さえ指摘するとおり、そんな従属的なものではない。争議行為の原動力であり、その支柱である。斗争に参加した組合員一人一人を処罰しないで、その原動力、支柱となつた被告人らを処罰する合理的根拠は十分に存在するのである。(中略)ひつきよう原判決が争議行為に参加する一般組合員と、これを指導して争議行為を誘発助成する原動力となる者との行為に、争議行為に通常随伴する方法によるものと、一段と違法性の強いものがあるかの如く前提して本件各被告人らの各所為を煽動行為に該当しないとしたことはすべて誤りである。」と判示しており、原判決は、争議行為における実行行為と煽動行為等を同一視する点において右都教組事件判決の判断に相反するものといわなければならない。

なお、原判決は、争議行為不可罰の見解を前提としているものと解されるが、公務員の争議行為を禁止し、その違反に対し刑罰を科しても憲法に違反しないことについては、既に前段において詳述したとおりであつて、地公法六一条四号が争議行為の実行行為自体に刑罰を規定しなかつたのは、実行行為が憲法上処罰できないからではなく、前記中郵事件判決が述べるごとく、労働基本権の制限違反に対する制裁を最少限度にとどめ、かつ、債務不履行には原則として刑罰を科すべきではないとの配慮が働いたためと解するのが相当である。

以上の理由により、地公法六一条四号は、一般的意義においても、憲法二八条に違反しないことが明らかである。

したがつて、「あおり」等煽動行為等の意義内容を、それらがその態様、手段において、必要不可欠か、または通常随伴する行為の範囲を逸脱し、公共の福祉の見地からも、これを容認し難く、法律上の保護の対象に値しないもので処罰もやむを得ないものと認められる強度の違法性を帯びるものに限るとしたことは、既にその前提において誤りがあり、不当な結論であることはもとよりである。

第二、原判決は憲法一八条の解釈を誤り、かつ最高裁判所及び高等裁判所の判例に反する。

一、原判決は、「憲法一八条は意に反する苦役からの自由、すなわち自己の意思に反して他人の為に苦役を強制されることのないことを保障するもので、奴隷的拘束からの解放のみならず、自由意思による労働関係の場合においても、労務の不提供を刑罰の対象とすることを禁止したものと解するのが相当である。そしてそのことは単に労働者個人の場合にとどまらず、その統一的、団体行動としての争議行為にも当てはまるところであり、したがつて争議行為に必要にして不可欠か、または通常随伴する行為としてのその遂行等を共謀し、そそのかし、もしくは、あおつたりする行為も、一般的には、争議行為と同様、これに刑罰を科することは許されないとしなければならない。

しかしながら、地公法六一条四号に規定する右のあおり等の行為は、特に違法性の強いもので、これを容認することが公共の福祉の要請からみて許されないとするものに限定して解釈する限り、これらの行為は争議行為に必要不可欠か、または通常随伴するものとは認め難く、法律上保護の対象となるものでないから、これらの行為を処罰する右地公法六一条四号は、憲法一八条に違反するものではない。」と判示している。

二、しかし、既述のとおり、労働契約に違反して就労しないという争議行為自体と、争議行為の煽動行為等とは明らかに区別し得るものであつて、地公法六一条四号は後者を処罰の対象としているが、前者を処罰するものではない。したがつて煽動行為等を争議行為自体と同一視する原判決はその前提を誤つているものというべきである。

また、前記中郵事件判決は、郵便法七九条が郵便業務従事者の労務不提供を刑罰をもつて禁止していることにつき、郵便業務の強い公共性からして合理性のある規定とし、同条は郵便職員の争議行為にも適用があるものとしているのである。その趣旨からすれば、地方公務員の職務の公共性の強さにかんがみ、その争議行為を刑罰をもつて禁止することも十分合理的理由を有し、憲法一八条に違反しないことは明らかであるのみならず、地公法六一条四号は、右のように争議行為それ自体を処罰の対象としていないのであるから、この点からみても、憲法一八条に違反しないことは論ずるまでもないことである。

しかして、前記政令二〇一号事件判決は「公務員は、政令二〇一号により、その第二条第一項に該当するいわゆる職場離脱を禁止せられたけれども、人格を無視してその意思に拘らず束縛する状態におかれるのではなく、所定の手続を経れば、何時でも自由意思によつて、その雇傭関係を脱することも出来るのである。それ故、所論のように、同政令が憲法一八条にいわゆる奴隷的拘束を職員に与え、その意に反して苦役を課するものであるということはできない。」と判示し、また、前記都教組事件判決は、「憲法の保障する苦役からの自由は、自由を拘束してこれに苦役を強制することを禁ずる趣旨と解すべきである。公務員は、その公務員たる地位にあると否とは自由であり、自ら公務員たる地位にある限り、自らが構成員である国または地方公共団体の住民に対して、勤労不売の斗争を禁止されているに過ぎない。その結果、公務員が就労執務を余儀なくされても、それは公務員が公共の福祉を実現するための責務であつて、苦役からの自由を奪われるものとは解することはできない。」としている。

したがつて、原判決の前記判示は、憲法一八条の解釈を誤り、かつ右両判決と明らかに相反するものといわなければならない。

第三、原判決は憲法三一条の解釈を誤り、かつ高等裁判所の判例に違反する。

一、原判決は「地公法三七条一項において職員の争議行為等を禁止し、これを違法としながら、その争議行為等の実行行為者を処罰しないのに、その前段階的行為とみられる共謀、あおり等の行為を、それが違法行為遂行の可能性に従属性をもつているとはいえ、実行行為の有無を問わず独立して処罰している点において、一見、刑罰法規として不合理な感がないではない。しかし右あおり等の意義内容を特に違法性の強いものに限定して解釈する限り、刑罰法規として合理性を欠くものといえず、憲法三一条に違反するものではない。」と判示している。

二、しかしながら、地公法三七条一項が地方公務員の争議行為を禁止し、これを違法としながら、同法六一条四号において、争議行為等の実行行為を除き、その前段階的行為とみられる煽動行為等を実行行為の有無を問わず独立して処罰するものとしていることが、我が国一般刑罰法体系からみて、異例のものであるが、これをもつて直ちに同条項が刑罰法規として不合理であるということはできない。

すなわち、既述したとおり、相当数の組合員をようし、幹部役員を有する職員組合においては、役員の指導によつて組合が運営され、争議行為の実施に際し、幹部間において積極的能動分子を中心として企画等が行われ、一般組合員に対しては指令等の方法によつて幹部役員らが指揮命令の権能を果していることは、一般に見られる社会的事実であつて、これらの行為は争議行為の原動力として実行行為そのものとはしゆん別できるものであつて、一般の争議行為参加者は受動的立場でいわば付和随行的に参加するものが殆んどである。地公法六一条四号は、このような実態に着目して、争議行為の原動力となり、これを誘発、指導、助成する煽動行為等だけを処罰することによつて、このような違法争議行為を禁あつし得るものと考えたものである。違法行為が実行に移される前の段階において、その原動力となりこれを誘発、指導、助長する行為を禁あつすることによつて未然に違法行為の実現を防あつし得るし、争議行為が実行された場合においても、その原動力となり、これを誘発、指導、助成した者を処罰すれば、その違法行為を実行した者一人一人を処罰する必要はなく、その行為は可罰的価値を有しないが、それらが集合して集団的違法行為となるとき、それは大きな反社会的違法行為となるけれども、その責任は原動力となつてこれを企画、立案、討議、指令したものにあるのであつて、争議行為の実行行為よりも、その煽動行為等の方が可罰性が強いのである。したがつて、右条項が争議行為の実行行為を処罰せずそれより可罰性の強い煽動行為等を独立して処罰することには十分合理的根拠があるのである。

しかして、実行行為を処罰しないで、その煽動行為等を処罰する立法例としては、道路交通法一一条に違反して行列が行われた場合、同法一二一条一項により、実行行為者である単なる参加者は処罰されず、その指揮者だけが処罰され、また、売春防止法三条は売春行為を禁止しているが、売春行為そのものに罰則を設けず、その六条・一一条で売春の幇助行為を処罰しており、義務教育諸学校における教育の政治的中立性確保に関する臨時措置法三条・四条は、「学校教育法に規定する学校の職員を主たる構成員とする団体の組織又は活動を利用して、義務教育諸学校に勤務する教育職員に対し、義務教育諸学校の児童又は生徒に特定の政党を支持させ又はこれに反対させる教育を行うよう教授、煽動したもの」に罰則を設けているが、その実行者を処罰する規定はない。

これらはいずれも、実行行為よりも指揮、幇助、教唆等の行為違法性の強いものとして刑罰をもつてこれを禁止しようとする立法趣旨と認められる。また、実行行為の有無を問わず煽動行為等を処罰する立法例としては、地方税法二一条等があり、決して、しかく異例ではないのである。

したがつて、地公法が違法な争議行為の原動力となる煽動行為等だけを処罰することはなんら憲法三一条に違反するものではない。

また、あおり等の意義内容を特に違法性の強いものに限定しなければならない理由がないことはおのずから明らかである。

三、この点に関し、前記東京高裁都教組事件判決は「地公法第六一条第四号が、争議行為の実行行為者を処罰しないで、これを共謀し、そそのかし、煽動した者、またこれらの行為を企てた者だけを処罰することによつて、このような集団的、組織的な違法行為を禁あつし得ると考えたからである。違法行為が実行に移される前の段階において、その原動力となり、これを誘発、指導、助成する行為を禁あつすることによつて、未然に違法行為の実現を防あつし得るし、争議行為が実行された場合においても、その違法行為を実行した者、本件についていえば、四月二三日の一斉休暇斗争に参加した二万四千人の教職員の一人一人を処罰する必要はないのである。

地方公務員法第三七条第一項において公務員の争議行為を禁止し、これを違法行為としながらその実行者を処罰する規定のないことは明らかである。また従来の刑罰体系からみて、犯罪の実行行為を処罰しないで、その共謀や、教唆、煽動のみを処罰することが例外的措置であることも原判決指摘のとおりである。しかしながら、犯罪の実行行為そのものより、その共謀、教唆、煽動の方が可罰性が強いときは実行行為を処罰しないで、その共謀、教唆、煽動のみを処罰することは少しも不合理ではない。通常の犯罪において犯罪の実行が最も可罰的評価の高いものであることは否定し得ない。したがつて可罰的評価の最も高い犯罪行為の実行を処罰しないで、その前段階における予備、陰謀、未遂を処罰したり、教唆、煽動を処罰することは不合理なことと考えられる。しかしながら法律をもつて禁止された争議行為という違法行為の実行は、個々の行為者の所為の一つ一つと切り離してみたとき、それは可罰的評価を有していないのである。もちろんその一つ一つの実行行為が集合して集団的違法行為となるとき、それは大きな反社会的違法行為となるけれども、その集団的違法行為の責任は、多衆を結合せしめて争議行為に動員した者、すなわちその原動力となつてこれを企画、立案、討議して動員指令を発した者にあるのである。したがつて、この中核、原動力となつた共謀者、教唆、煽動者あるいはその企画者を処罰すれば足りるのであつて、動員されて争議行為に参加した一人一人の実行行為は、最早処罰の必要がないのである。争議行為という組織的違法行為においては、その原動力となる組織指導者の共謀、教唆、煽動の所為と、これによつて争議行為に参加した個々の争議行為実行者の所為とは全くその可罰的評価を異にし、その前者を処罰することにより、後者は全くその処罰を必要としないのである。地公法第六一条第四号は、少しも合理的根拠を欠くものでなく、なんら憲法三一条にも違背するものではない。」と判示している。原判決の前記判示は、右東京高裁判決の判断と相反するものといわなければならない。

第四、原判決は地公法六一条四号の解釈を誤り、東京高裁の都教組事件判決に違反する。

原判決は、「地公法六一条四号において可罰性のあるものとされるのは、一般的意味において、同号に掲げる行為に該当すると認められるすべてを含む趣旨ではなく、そのうち争議行為に必要不可欠か、または通常随伴するいわばその構成分子と考えられ、広い意味において、争議行為の遂行と同等の評価を受ける行為を除き、それらの行為がその態様手段等において右の範囲を逸脱し、公共の福祉の見地からもこれを認容し難く、もはや法律上の保護の対象とするに値しないもので、その処罰もやむを得ないと認められる程度に強度の違法性を帯びるものに限ると解するのが相当である。」と判示している。

しかし、既述したところにより明らかであるように、右判断は、その前提において誤りがあり、不当であることはいうまでもないことであるが、右は、本件と内容を同じくする前記東京高裁都教組事件判決に違反するものである。

右都教組事件判決は、同事件に関する第一審判決が「争議行為に通常随伴して行われる方法より違法性の強い方法をもつて争議行為を煽動した者等、争議行為の実行者よりも一段と違法性が強いと解される者に限つてこれを処罰する趣旨と解すべきである。」と判断した点を誤りであるとし、「労働組合の争議において、団体の構成員が他の構成員に対し地方公務員法第三七条第一項前段に規定する違法行為の遂行を煽動する場合は、争議行為に通常随伴して行われる方法より違法性の強い方法をもつてしなければ、同法第六一条第四号」のあおり(煽動)に該当しないと解すべきではない。」と判示している。

思うに、団体の構成員による煽動は、争議行為に通常随伴する方法より一段と違法性の強い方法によらなければ地公法六一条四号の「あおり」にならないと解するならば、団体の構成員による争議行為遂行の「共謀」、「そそのかし」、「企て」の行為も、悉く、同様に解すべき筋合となり、争議行為遂行の「共謀」、「そそのかし」、「企て」の行為で争議行為に必要不可欠か、または通常随伴する方法によるものと、それより一段と違法性の強いものとは、何を基準に判定すべきか、疑いなきを得ない。本来厳格性を要求される刑事法規の適用にあたつて原判決の掲げるような不明確な基準を持込むことは許されず、その見解は、実定法規の解釈の限界を逸脱し、新たな立法をするに等しく到底正当な法解釈とは認められない。地公法六一条四号所定の各行為は積極的に争議行為を指導する態様として掲げられたものであり、いやしくも法律の禁止する争議行為を「あおり」などした者は刑事制裁を科するというのが法文の明示するところであつて、それが争議行為に必要不可欠ないしは通常随伴する方法であるか否かは問うところではないのである。されば、地公法六一条四号解釈につき、東京高等裁判所の判示したところは正当なものとして維持さるべきものであり、これに反する原判決の判断は誤りであり、その誤りが判決に影響をおよぼすことは明らかである。

以上いずれの点よりするも、原判決は破棄を免れないものと思料する。

以上

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